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小声で挨拶

詩を書いている上田丘と申します。考えに浮かんだ事を書いて行きます。

会社と個人

 人がいつも通りの日常を過ごす中で、ある時思いがけず、犯罪者になってしまうことはありえる。何か月か前、普段ジョギングコースにしている道で、交通事故が起こった。制限速度40キロの片側一車線の狭めの道を、少なくとも100キロ以上のスピードで走っていた車が、ゆるやかなカーブの先にいた二輪車にぶつかってしまった事故だった。事故を起こした側からすれば、つい十数秒前までは、自分が犯罪者になるだなんて、全く思っていなかった筈だ。もちろん、そんな道を「少なくとも」100キロで車を走らせていたのだから、無意識の内には、その可能性を認識していなかった筈はないだろうが、車を飛ばしている時の本人の考えの内には、その考えは浮かんでいなかっただろう。

 私が勤めている会社の関連会社が、談合をしたとのことで、昨年公正取引委員会の処分を受けた。実際に、その関連会社はじめ、処分に異議を訴えた会社があるとは聞いていない。で、一般的な話として、そういった場合会社が処分を受けるだけでなく、捜査が証明できれば、談合を行った人たちが刑事処分される事もある訳だ。そこまで行かなくとも、社内的な処分を受ける可能性は高い。私がここで書こうとしているのは、昨年のその事件そのものについてではない。談合の様な重大な違法行為をする時の個人と、その会社の関係について思ったことがある。

 初めに書いた百数十キロのスピードで片側一車線の道路を走っていた若い男性と、談合を行った会社員の人たちでは、はっきり結果が意識されていたかという点で大きな違いがある。つまり、後者の人たちは、談合を行った時、違法行為を行っていることは絶対に分かっていたし、彼ら個人に関係してくるリスクも、同様に分かっていた筈だ。それにも関わらず、彼らがそれを行った状況について考えてみた。

 談合を行うような企業は、大規模な会社が多い筈で、これは、小規模な業者が小規模な者同士で談合を行っても意味がないことから、明白だ。そして、談合を行う場合、会社が更なる利益を追い求める中ではないと思う。そういった場合、それまで自社に来ていた利益を失わない為にそうすることが大半だろう。企業は、新しい利益を創出しようとする際に談合は行わない。むしろそういった場合、他社を出し抜くことに必死になり、決して他社と相談して談合をしようなどとは思わない。むしろ、自社の現在の利益、つまりおいしい仕事を失う事を恐れて談合をするものだ。

 ここで、営業の現場でなにが起こるかと言うと、この会社の持つ利益遺失への恐怖と、担当者個人の「営業成績という名の個人的利益遺失」の恐怖がリンクする瞬間が起きる。もともとは会社にとっての不利益が、何故か会社員個人的な利害に取って代わってしまうのだ。自分の勤める優良企業が持っているおいしい仕事が、自分が担当の時に丸々なくなってしまう恐怖が、自分自身の営業成績、引いては自分の会社での立場や地位が全く酷いものになってしまうのではないかという恐れにすり替わってしまう訳だ。個人のレベルでこれを見ると、こういった理由で犯罪を犯すということは、その人の個人的なエゴで違法行為を行ったとみる事は出来る。但し、これを少し全体的に見て、会社のレベルで眺めてみると、その企業がある人に対して、個人の営業成績というアメとムチを使い、無言のうちに、本来は善良な個人を、企業の利益の為だけに犯罪に走らせたとみる事も可能だ。

 いずれにしても、個人のレベルでは、ある人を談合に走らせるのは、本質的には、見かけはたとえどう見えたとしても、それは「恐怖」の心理だと思う。