小声で挨拶

詩を書いている上田丘と申します。考えに浮かんだ事を書いて行きます。

倉橋ヨエコ 「鳴らないピアノ」について(アルバム『解体ピアノ』より)

 正しい愛という物が、女性に言わせるとあるらしいのだ。その事には、私自身も、個人的な経験から気付いていた。女性が「正しい愛」について持つ真剣さをないがしろにして、男性なりの考えで突っ走ってしまうと、どうなるか…。そう、考えるだに恐ろしい結末が待っているものだ。この曲で倉橋ヨエコは、世の男性達に、男性なりの愛だけでなく、女性にとっての「正しい愛」があるという事を思い出させてくれる。先ず曲の初めに、正しい愛が涙で歪んで見えないと言い、曲の最後に、まるで曲の初め部分の謎解きをするように言う。うわべではなく、正しい愛が欲しい、と。
 倉橋ヨエコの物販で売っていたシールを、私は自分のペン立てに貼っていたのだが、そこには「嘘だらけ」と書かれていた。その周りに、嘲笑う口の絵と、全裸で涙を流す女性の絵があった。倉橋ヨエコの作品のキーワードの一つに、間違いなく「嘘」という言葉が挙げられる。周りの嘘に傷付く自分、という物だ。この「嘘」は、我々聞き手は、何となく世の中の嘘を糾弾する意味も込められていた様な気になりがちだが、今改めて考えてみると、倉橋ヨエコが糾弾していたのは、恋愛の中の「嘘」だったのだ。
 私はここで、ジェンダー論を論じる積もりはない。耳の痛い話だ。この『解体ピアノ』が出た当時、既に2008年だったが、私が倉橋ヨエコを聞いていたのは、その「やさぐれ」部分が好きだったからだ。大袈裟な言い方をすれば、絶望した人間は、絶望を扱う芸術作品に心の拠り所を求める。私は、そんな聞き方で、当時倉橋ヨエコの作品を聞いていたのだ。そう、自分の心に関係する部分で絶望した女性の歌に癒しを求めて、一方現実世界では、そんな女性の絶望を生み出している、そんな図式は成立していなかっただろうか。私が実は倉橋ヨエコという存在に対して、心のどこかでやましい気分があるのを感じるのは、そんな事情からなのだ。何しろ、恋の初めの熱情が覚めてみたら、男性に女の子の側の気持ちは通じていない事が分かった、という曲なのだ。男性としては、恋の初めの熱情は、かなりの割り合いで性欲が混ざっている事を知っており、それをなしに考えても、中々相手の女性がどんな気持ちでいるかを知るのは難しく、後ろめたい気持ちにもなる。
 それでも、翻って考えてみて、男性の側も思うのだ。俺だって、君の夢に付き合ってあげたんじゃないか?と。中々難しいものだね。
 愚痴になってしまった。作品に戻ろう。
 この曲の二連は、男が星にかけて囁いた愛が嘘だったのと同様に、結局星も男性も女性の物ではなかった、という描写で、そのあとの第三連で、先に描写した部分、気が付けば男性は全く女性の側の想いを分かっていなかった、という場面になる。
(第二連)
「幸せの数だけ瞬いているよと むごい嘘
 名づけた星もあなたと一緒
 この手の中 いないの」
(作詞作曲:倉橋ヨエコ 2008年『解体ピアノ』「鳴らないピアノ」より引用)
 改めて文字だけで読んでみると、歌詞が表す事が幾つも層になっていて、中々に深い。私が気付くのは二つあって、一つは、とても上手いという事だ。幸せと星とが二人の会話に出てくる情景があり、その会話が嘘であったのと同様に、男性も女性の物ではなかった、それが分かり易く描かれている。「幸せの数だけ瞬いている」星と、それに関する嘘、という情景は、『モダンガール』の「幸い屋」を思い出させる。幸せを量り売りで買おうとした、あの曲だ。もう一つは、倉橋ヨエコの情念が、深い層から込み上がっている。その情念は、とても単純だ。あれだけ思って、あれだけ大事にしたのに、何も響いてないという、男性の目線から見た言葉で言えば、恨み節だ。倉橋ヨエコの場合、この恨み節が恨み節で終わらず、ある種の人生に於ける規範にまで昇華させている所があると思う。そして、倉橋ヨエコの作品を特別にしているのは、一つにはこの真面目さだ。第七連で倉橋ヨエコは、誰かを愛しもせず、大切に思う事をしなければつらい気持ちになる事もないが、そんな事は出来ない、とも言っている。
(第七連)
「人を愛さずに生きられるなら
 さぞかし楽だろう
 人を思わずに逃げられるなら
 どんなに身軽だろう」
(作詞作曲:倉橋ヨエコ 2008年『解体ピアノ』「鳴らないピアノ」より引用)
 ここでも、二つ言及しよう。一つは、やはり歌詞として上手い。言っている内容だけを見れば、「愛さなければ楽なのに」というありふれた事だけれど、それがきちんと倉橋ヨエコ自身の借り物でない言葉で言われているので、真に迫っている。もう一つは、やはり規範という物に落ち着く。倉橋ヨエコ自身は、この歌詞で、例えば人を本当に愛せない人がこの社会にはいて、そんな人達を非難するという気は全くないだろうが、この歌詞には、それぐらいの迫力がある。
 もしくは、その規範の刃は、相手の男性に向かっているのかも知れない。きちんと女性を愛する事が出来ない男性に、この曲の最後に倉橋ヨエコは「さよなら」と言う。こんなさよならを言われた男性諸君はいないだろうか。少なくとも私には、覚えがあったりする。