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小声で挨拶

詩を書いている上田丘と申します。考えに浮かんだ事を書いて行きます。

天皇制と不公平という感情

 天皇が生前退位を望む意思を表明したからという理由だけでなく、今、天皇というものについて考える事は、重要だと思う。我々は天皇というものに反対、賛成を問わず、その存在に根本的な疑問を既に十分投げ掛けた積もりでいたり、又は存在意義を既に理解し尽くした積もりでいる。一方、二〇一六年現在、イギリス国民はちょっと素性の怪しそうな政治家達の主張に賛同しEU離脱を決め、アメリカの共和党は、主に白人労働者階級の支持を集める人種差別主義者を大統領候補にするし、戦争の前線は軍人が駐屯する場所だけでなく、一般の市民が集う街並みにも存在する時代だ。同様に、日本では、世界的に見ても最も抑圧志向の戦争推進派である世襲議員の総理大臣が、選挙で圧倒的な支持を集めた。

 私の様な気の弱い人間にとっては、自分を見失う要素に事欠かない状況だ。一度天皇について、予断を排して、改めて考えてみたい。

 天皇というものは、日本の憲法と法律で規定された地位であり、国家における役割と言ってまず間違いはない。そもそも天皇を「国の象徴」として定めた憲法を作ったのは、言うまでもなく太平洋戦争に勝利した連合国のGHQだ。彼等にとって昭和天皇は、ヒットラームッソリーニと同列の人物であった筈だが、その昭和天皇を敗戦後の日本の「国の象徴」に据えた理由は、日本国民の統治に都合が良かったからだと言われる。余談であるが、小学校の頃に東京オリンピックがあったある人によれば、先の大戦を始めた張本人の一人がまだ生存して、「東京オリンピックの観客席で手を振ってるのを見て、世界中がびっくりした」のだそうだ。既に何億回も言われた事を改めて言うのは気が引けるが、天皇という存在は古くから存在する権威として、時代時代の実権を握る人間達から利用され続けて今日の平成まで来た。GHQがそれ迄と違ったのは、日本の内側の人間以外で初めてその権威を、天皇に対する権力者として利用した所で、はっきりとした征服者の立場で初めて天皇を利用した、とも言える。ここでひとつ、天皇という存在、制度に転換点が訪れた訳だ。徳川将軍の権威が最盛期を迎えた時代でさえ、将軍は天皇との会談で自分と天皇を同列に据えて話をしたそうで、つまり下座には決して置かなかったという。日本は現在、時々アメリカ合衆国の五十一番目の州と揶揄される事があるが、GHQの主要国であったアメリカ合衆国も、天皇を利用した甲斐があったという事かも知れない。今般の我が国の右傾化については、一つにはこの、アメリカからであれ、憲法が主権が存するとする国民からであれ、「支配される側になった天皇」に対し、古来からの絶対的な権威の復権を目指す形を取っている。当然ながら、この復権を画策する政治勢力というのは、実は神輿を担ぎながら、自分の権力だけを強める事を目的としている。勿論、安倍と、その他愉快な仲間達が、天皇の権威を利用する権力者の最たる者達だ。そして、彼らは天皇を担ぐことにより、天皇制に歴史的な郷愁を感じる人達をも利用している。また、この郷愁が、戦後日本の世界における相対的地位の低下と同時に盛り上がりを見せているのは、その意味はよく分からないが、やはり指摘せざるを得ない気がする。

 他のあらゆる物事と同様に、天皇という存在に対して、人は各々の性格、思想、生活に沿った意見を持つ。私にとっては、もしかしたら、GHQがどうだとか、日本国民の統合の象徴としての存在(とその言葉に何となく感じる欺瞞の感じ)だとか、更に安倍どもがその存在を利用をしている事すら、天皇について本来的に考える時にはどうでもよくて、どうも生まれ持っての特殊で特別な地位という物は、世の中の差別を温存する存在である気が、それも漠然とするから、その制度に反対する、という所が正確である気がする。ここでいう差別は、不公平という言葉と置き換えも可能だ。

 そして一言付け加えると、こういった私の感情を必ずしも正義感とみる必要はない。生まれ持って優位に立つ他人がいるとした時に、それに対して感じる妬みだと捉えても構わない。いずれにせよ、その感じの正体が何であれ、私の天皇という存在、制度に対する関わり方は、この様な物なのだ。不図思い出したが、ある友人と二人で飲みに行った時に、相手が「親しみの気持ちを込めて」とか何とかの理由で天皇という言葉に「陛下」を付けると言うのに、私は天皇制は「差別の原因になる可能性がある」と異議を唱えたのだったが、あの時の私は正義振った態度でそう言ったのかも分からない。その時の相手には申し訳なかった。この場を借りて謝っておく。申し訳ない。