小声で挨拶

詩を書いている上田丘と申します。考えに浮かんだ事を書いて行きます。

都美セレクション新鋭美術家2017 東京都美術館

 

 今最新の美術に触れたいと思い立ち、上野公園にある東京都美術館の、都美セレクション新鋭美術家2017という展示会に行って来た。美術に限らず、芸術とは、ある意味元々は手慰みといった意味合いがある。クロマニョン人が描いたとされるラスコー壁画だとか、大昔の叙事詩だとか、文化的な事をしようという意図があったというよりも、ある意味では暇があったからやった、という事もあっただろう。だから、最新の美術といっても、見たままを感じれば良い訳だ。そんな事を考えながら、上野を歩いていた。

 

畠山昌子

この展示会を通じて言えるが、それぞれ五人の作家本人のコメントがあって、作品を鑑賞する良いヒントになっている。やっぱり、本人の言葉での説明は説得力がある。この作者は光や空気や大気について、「空中を漂うそれらの物質には、私たちの感情も含まれているのではないかと思っている」そうだが、この作家の作品の中の白には、この作者なりに持っている意義が感じられる。2010年から2014年までの作品は特にそうで、どれもピントがぼけた感じの木々の緑を描いた作品だが、それらの白い色との対比が印象的だった。とても明るい作品だと思う。一方、2015年、2016年の作品は青色で池や森の木々が描かれているが、静かで、静謐な感じが落ち着いていて良かった。「空中を漂う」物に何かを感じているという作者の言葉は、作品を見るととても頷ける。後者の作品達は、似ている訳ではないが、何かピカソの色を思い出した。

 

斉藤里香

この作者の作品も、初めに作者の解説の中にある「辺獄」という言葉を見ておいて良かった。それを読む事で、解釈に辿り着きやすくなった。 逆に、解説を読まないと、少し解釈に時間はかかったか、又は全く苦しんでいたかも知れない。兎に角、大変苦労して作っている感じを受けた。変な形のサボテンか、蔓や草の伸びた様な物が模様として細かく、乱雑に描かれていて、そこに色が乗っている版画だ。それが「辺獄」の世界であって、苦労して作っている感じというのは、そんな世界が描かれているからで、要するに苦しみが表現されているからだ。基本的には変な植物が沢山描かれているだけの様な世界で、単なる模様と言っても良い位だけど、眺めていると、それが何かの物語を語っている様に見えてくる。日本画の絵巻物が目の前にある様な錯覚がして来る。その感じが、絵画としてとても面白い。そして、そんな物語の世界の上に、ランダムに色が乗っていて、この色が作品に素晴らしい躍動感を加えている。私は特に赤茶色が良かった。作者の言葉に、「”Linbo-辺獄-”をさ迷うかの如く失意に満ちた毎日ですが、それでもこの暗闇にふと立ち現れる気付きの瞬間に心を閉ざさずにいたい。」とあり、まさにこの通りの版画だ。苦悩の基調の中から時折立ち現れる喜びがある。

 

 青木宏憧

蒔絵や螺鈿を施した乾漆で現代的な造形を行っている。初期の宮崎駿の作品、具体的には風の谷のナウシカ天空の城ラピュタ、又は鳥山明ドラゴンクエストの影響が大きい様だ。少年の心の造形と言える。実用でああいった作品が使えたら楽しいだろうな、と思う。

 

増井岳人

つぎはぎの大きな顔をモチーフにした彫刻の作品が三つ。

 「Thank you very much」整ってない所に、生きる違和感、戸惑い、苦悩が感じられる。

「僕が王様」泣いてる王様か、ヒーローに見える。カッコ悪さを描いているのだが、見ている内にそれがとても格好良く見えてくる。とても良い。

「世界は僕らの手の中」普通だけど、普通の優しい感性が良く出ている。凡庸である事への誇りが感じられ、気高くすらある。

この作家の作品には、とても愛着が湧いた。芸術作品がしなくては行けない事を正にしている。表現にキン肉マンの影響がある気がして、それは子供っぽさなのかも知れないが、もしかすると、それは若々しさの表れなのかも知れない。ダリの彫刻の傑作に大きなカタツムリ(テムズの畔にあるダリの美術館で観た)があるが、あれも生真面目とは遠いよなあ、と思ったりした。

 

 大石朋生

この作家も白に重きを置いているが、畠山昌子とは違い、儚げな白だ。幻想的な絵が多く、落ちて水面に浮かぶ蝶、黒い月、喪失感を感じさせる白などが目につくが、私は「驟雨」という絵にあった様な生命感が良いと思った。この作家の白が印象的な絵を見ていて、私は初期のファイナルファンタジーの絵を思い出した。

 

 この都美セレクション新鋭美術家2017は、刺激的な作品が多い美術展で、見に行って良かった。

 

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